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フィンケ監督、最後の会見を読んで - 前編

天皇杯、ガンバ戦終了翌日に、大原で行われたフィンケ監督、最後の会見全文が、Jマガに掲載されましたので気になったところをピックアップ。

会見記事は前後編に分かれています。前半は日本で仕事をした2年間のチーム、試合内容を振り返って、後半は主に選手育成やチーム改革について、さらに日本サッカー界に関することまで多岐にわたっており、興味深く読むことができました。

長くなりそうなので、こちらも2回に分けて書きたいと思います。

まずは前半部分から。

(浦和は)2006年のJリーグ優勝、2007年ACLの優勝という結果を残していましたが、チームのパフォーマンスというのは、その後は下降線を辿っていました。最も優れていた、そしてチームにとって最も価値のあったワシントンや長谷部はクラブを去っていました。そのような状況で当時の首脳陣から私が依頼されたことは、チームの根本的な改革を行って欲しいということでした。

第一にプレースタイルを変えてほしいということ、それから新しい若い選手達を入れていくことによって、健康な年齢構成の中でのチーム作りを進めて欲しいということでした。私は既にとても長い間このサッカー界で仕事をしていましたし、私に対してどういうことを希望しているのか、そしてどういうことを期待しているのか、ということを詳細に確認したと思っていました。

その時にはっきりと藤口さん(当時社長)が私に対してこう言ってきたのです。『もう私たちは今後はひと昔前のように選手を買うことはできない。今後はこのクラブの収入もさらに減っていくだろうし、違約金などを支払って高い選手はもう買うことはできないから、今後は自分たちのクラブに所属している若い選手たちをどんどん成長させていかなければならない。それを是非依頼したい』

そして違ったところから、藤口さんと新田さん(当時常務)が私に対して、はっきりと『優勝しなくてはいけない』と言わなかったことが、クラブとしての間違い、判断のミスだったというような声があったということを、私はあとあと聞きました。ただし忘れてはならないのは、当時私にこの仕事が依頼された時に、クラブがどのような状況に置かれていたかということです。

そして私は最終的に依頼を受けてこの国に来ることになったわけです。そしてここで仕事を始めたわけですが、私がここの契約書にサインを交わしたあと、とても早い時期に人事の移動が起きるとは思っていませんでした。私を招聘した人間があっという間にいなくなってしまったのです。

それでもこの多くの変化に私はたくさんの妥協をしましたし、なんとかしてポジティブな形で仕事を進めようとしてきました。そして今本当に珍しいことが起きています。これはプロの業界ではなかなか見ることができない状況ですが、1つのサッカークラブの中で最も重要なポジションである社長、それからGM、監督の三つの立場の人間のうち、監督である私が最も長い間このクラブにいる人間になってしまいました。

浦和レッズ フォルカー・フィンケ監督 最後の会見・前編【川岸和久】:サッカーを読む!Jマガより引用

まぁ、フィンケさんなりに色々言いたいことはあるんでしょうね。自分を招聘した人が短期間でいなくなり、最初の話と違うことを周りから求められるようになったりとか。この辺は来日初期や今年初めの方のフィンケさんのインタビューなんかを聞いていても、フロントとの意思疎通、ビジョン共有がちゃんとできてるのか心配になる発言が度々でてきていたことからも想像できます。

ただ、この辺はフロントの言い分もあるでしょうから一方的にフロントが悪いとは思いませんけど、腹を割ってきちんと話し合い、誤解を解く努力をお互いにしてきたのかなってのは外から見ている分にはわからないので、その辺が足りなかったのなら、しっかり反省して来年は改善して欲しいですね(ま、次はペトロなんでそういう心配はなさそうだけど)。

はっきり言えるのは、ピッチに立っているチームはこれからとても多くの成功を収めることができる、そして将来性のあるチームだということです。プレースタイルはまったく新しいもの、まったく別のものになりましたし、選手達もとても大きな喜びを持ってこのプレースタイルを実践しています。実際に今年に入ってからも90パーセント以上の試合では私たちのほうが相手よりたくさんのチャンスを作っていましたし、通常ならば多くの得点チャンスを作っているチームこそが勝利を収める可能性が大きいわけですから。

ただし大きな改革をしたばかりということもあって、このように多くの主導権を握りながらも、それを結果に変えていくことができる安定感をまだ身につけていません。主導権を握りながら、そして相手よりたくさんの得点チャンスを作りながら、これらの決定機をしっかりと得点に変えていって、定期的に、継続的に勝利を収めていくということ、これが次の私たちのチームが進まなくてはいけないステップです。

ただしそのためには賢いプレー、それから状況によっては経験に基づいた素早い判断というものが求められます。今私たちのチームはそのステップを踏まなければいけない時期にきています。これは成長していくなかで、もっとも難しいところでもあります。だからこそ、このクラブの首脳陣がチームを今後も成長させていくために、幸運に恵まれた、そして優秀な手腕を発揮することを私は願っています。今の状況を考えれば、部分的に正しい補強をすることによって、チームの総合力を上げることができる状況ができています。なぜならば組織力はもう出来上がっているわけですから。

ただし、あれだけのチャンスをゴールに結びつけるために、いわゆる決定力を身に付けるための補強をしなくてはいけません。そしてチームの守備に関しても、1人の選手を獲得すればいいことだと思っています。大きな補強であると思っています。

浦和レッズ フォルカー・フィンケ監督 最後の会見・前編【川岸和久】:サッカーを読む!Jマガより引用

まぁ確かに今年はそういう試合が多かったですね。プロなんだから惜しい試合なんかしたって勝たなきゃ意味ないよという意見はもっともだと思いますけど、ポゼッションして優位に試合を進めることができるところまでは来た、あとは得点力を安定させるための補強やもう1段階の成長目指して来年もう1年やりたかったなっていうフィンケさんの気持ちを感じます。

個人的にもホップ、ステップと2年間きたフィンケ体制が3年目でどういうジャンプを見せるのかってのは期待してたクチ(過去記事参照)なので残念ではありますが、シーズン終盤にマルシオさんを始め補強もされてるし(個人的にはエジと双璧になるような強力なFWが1人欲しいけど)、今の組織力をうまく活かせれば来年は明るい年になってくれるのかなとか比較的楽観視してます。

―怪我人が多い中でフィンケ監督が求めるサッカーを作り上げるのは難しかったのでは?

「私はとにかく、1年振り返ってみれば、山田直輝が1年離脱してしまったことです。あの腓骨骨折の怪我によってほぼ1年離脱してしまうということは、私にとっても大きな驚きでした。ただし、今この場でそれぞれの選手の状況について語るのは間違っていると思います。私たちのメディカル部門はできる限りのことを努力はしようとしていましたし、とてもいい形で仕事はすることはできていたと思います。

ただし忘れてはいけないのは、世界中を見渡してももっとも質の高いサッカーは現時点ではヨーロッパで展開されているというのとです。これは、私にとってみれば方向性を見極める上でとても大切なことだと思います。どこで最も質の高い仕事がされているか、ということを考えて、そこからできる限りたくさんのことを吸収しようとしなければいけません。

Jリーグもまだまだ多くのことを学べると思いますし、私たちの仕事、特にチームを取り巻く仕事ということに関してましては、ヨーロッパから学べることがたくさんあったと思います。今、こういう状況で人を批判するようなことは間違っていると思います。

私がはっきり言えるのは、この分野に関してはまだまだ改善ができるとわかった時点で、全関係者がこの改善に取り組むように努力をしていかなくていはいけないことだと思います。そして物事を改善していく、そして最もレベルの高いところから多くのことを吸収するために大切なのは、自分自身がオープンであること、そして様々なことを吸収していこうという、改善するために欠かしてはいけない姿勢を持つことです」

浦和レッズ フォルカー・フィンケ監督 最後の会見・前編【川岸和久】:サッカーを読む!Jマガより引用

2年間悩まされた選手のケガについてですが、記事を読む限りではチームのメディカル部門の仕事に関して100%満足している感じではないですね。ま、ケガってのは試合中、練習中限らず不可抗力的なものもありますので完全に防ぐことはできないと思いますが、実践しているサッカースタイル的にケガをしやすいのかもしれないし、単純なフィジカルの強い弱いだけではなくて、例えば若くて経験の浅い選手だと、必要以上に無理にボールに行ってしまって無用なケガをするとか、判断力的な部分で起こるケガもあります。その辺は教育っていうのも大切なんでしょう。

フィンケ体制下では、痛みのある選手を無理に練習参加させたり、試合に起用したりはせず、どちらかというとケガ明けの選手を慎重に扱っていたと思いますが、それでも度々ケガを再発して離脱する選手が目立ちました。この辺は来年きちんと改善されることに期待したいです。

そして話は2年間でのワースト、ベストゲームは?という質問へ。その中でドイツ、ブンデスリーガのドルトムントが例に出ます。

現時点でドイツでは一つのとても優れたチーム作りに関する例があります。今。香川がプレーしていることもあって、多くの日本の方も興味をもっておられるところですけど、それはボルシア・ドルトムントです。彼らは1997年にUEFAチャンピオンズリーグで優勝しています。そして2002年にはドイツブンデスリーガで優勝しています。

しかしこのブンデスリーガで優勝を収めるためには、ものすごくたくさんの人件費を支払っていました。最終的にはとても大きな借金をしなくてはいけない状況になってしまうのです。毎年のようにドイツブンデスリーガで最もたくさんの観客がいるチームであるにも関わらず、2002年以降はほぼ毎年のように降格争い(残留争い)に参加しなくてはならないような状況になってしまいました。(その中の)一度は最終節で残留を決めることができたのです。

そして完成された選手を獲得するだけの予算がなくなってしまいました。そして今から3年前に若い選手を成長させることができる一人の監督(※ユルゲン・クロップ)を招聘しました。私はこの監督のことを良く知っているので、いろんな詳細情報を持っていますが、2年間、彼らは多くの若手を使いながら、順位表では中位の位置にいました。

そして今年3年目なんですけれど、この新しい仕事をし始めた監督の3年目で、今、現時点で彼らはブンデスリーガ首位で、秋の王者になっています。2位との差は勝ち点10になっています。ただし今、彼らが再び新しいチームを作って首位を走ることができるようになったのは、前回の優勝から8年経ってからでした。

ドイツでは、バイエルン・ミュンヘンよりもたくさんの観客がいる、観客動員数が一番であるクラブがこのような期間を乗り越えなければいけなかったのです。これが今、香川が所属しているチームです。チームの平均年齢はだいたい24歳です。

私がこの例をあげてお話したいのは、チームで成功を収めるのは一つのプロセスが必要だということです。サッカーというのは、前もってタイトルを約束して、そして成功を約束して、そしてできる限りたくさんの選手を集めて優勝する、そういうものではありません。この一つのプロセスを経て、初めてしっかりとした長期的な成功を収めることができるのです。私がここで仕事をして、土台を作り上げたことによって、長期的にチームが成功を収めることができるようになることを、私は心の底から願っています。これが、昨日の質問に対する答えです

浦和レッズ フォルカー・フィンケ監督 最後の会見・前編【川岸和久】:サッカーを読む!Jマガより引用

ベストゲームについては答えないかわり(ワーストは今年の最終節、神戸戦を挙げています)に、このような例を出したのは、ベストと言えるような試合をするにはもう少し時間がかかるよってことなのか、フィンケさんの真意はわかりませんが、短期的な結果を追い求めていてはいいチームを作ることはできないんだという彼の考え方がはっきりわかります。

フィンケさんが2年間やってきた取り組み、作ってきた土台が100%正しいなどとは思いません。長い目で見ることの大切さは十分理解しつつも、2年連続で無冠、さらに順位も低下となれば、同じ体制での3年目を積極的に支持してくれる人が減るのも仕方のないことです。そういう点では3年目も任せてみたいと思わせるだけの説得力をもった実績を2年で残せなかったフィンケさんにも問題はあると思います。

ただ、一方でクラブがきちんと長期的にビジョンを持って取り組んでいるのかという部分で不満を持っているサポが多数いることは確かだと思います。クラブはその辺を明確に示すことが重要なんじゃないかなと改めて思いました。(後編へ続く)

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Yoshiki Kato / burnworks
Yoshiki Kato
埼玉県出身。サッカー、フットサル (観戦 / プレー)、モータースポーツ観戦、格闘技 (主にボクシング) 観戦、インターネット、音楽鑑賞、筋トレ、腕時計収集が趣味。サッカー 4 級審判員、ウオッチコーディネーター(上級 CWC)資格認定者。好物はゼリー、グミ、お酒、ラーメン。